野田久貴さんのお通夜に参列しました。
野田さんの急逝に衝撃を抑えることができませんでしたが、ご遺族や八極螳螂武藝總舘の方々に見送られている様子を見て、私の気持ちも落ち着いてきました。
亡くなられた方が、先祖の方々と再会する、ということはよく言われることですが、
野田さんが、李書文や劉雲樵と拳を練っている、と考えれば、うらやましく思えてくるほどです。
悲しんでいても故人は帰ってきません。
どのようにとらえるかは、残された者たちの器量次第です。
ならば、野田さんが李書文や劉雲樵と拳を練っている、思い切り幸せな場面を思い描くことが、「冥福」というものにつながるのではないか、と思えてきました。